動物の臭い、最前線──キツネのサインに怯えるネズミ、進化が刻んだ本能と忌避剤の現在

この記事でわかること
  • ネズミが特定の匂いを本能的に恐れる進化的なメカニズム
  • キツネの匂いを利用したネズミ忌避剤の実際の効果と応用の現場
  • 動物の「匂いの記憶」と、害獣対策への今後の展望
この記事の執筆者:

かわほりプリベント代表 山岸淳一

専門分野:コウモリ・野生動物・害虫対策の専門家。長野県を拠点に、ネズミやコウモリなど害獣の調査・駆除・再発防止対策を行う。業者として、SBC信越放送ラジオ「もっとまつもと」に毎月出演し、害獣対策の情報を発信中。

運営者情報・詳しいプロフィールはこちら

【はじめに】 「この匂い、ちょっと嗅いでみてください」

2025年5月29日木曜日、私、かわほりプリベント代表の山岸淳一は、SBC信越放送ラジオの生放送で、アナウンサー塚原正子さんにそう言って、ある液体の匂いを嗅いでもらいました。

塚原さん「くさっ。でも、なんか香ばしい匂い。ポップコーンの匂い?」

この匂いは、私たち人間にとっては「少し変わった匂いだな」と感じる程度です。しかし、これがひとたびネズミの鼻に届けば、事態は一変します。それは、彼らにとって命の危険を知らせる“絶対的な警報”となるのです。

この記事では、動物たちが「匂い」という見えない情報から何を読み取り、どう反応するのか。その驚くべきメカニズムと、ネズミ対策としての忌避剤応用、その効果と限界、そして「匂いの記憶」というテーマに、ここ長野県の事例も交えながら、科学と実地の両面から迫ります。

【1. 人間には「変な匂い」、ネズミには「死のプレッシャー」】

人工的に合成された捕食者の匂い

ラジオで塚原正子さんに嗅いでもらったこの「ちょっと変な匂い」と感じる物質の正体は、キツネやイタチといった肉食動物が肛門腺から分泌する匂いを、人工的に合成したものです。これは、ネズミの忌避対策などに応用が期待される成分です。

ネズミが見せる典型的なフリーズ反応

この匂いをネズミに嗅がせると、彼らはたちまち特徴的な“フリーズ反応”を示します。この反応は、忌避の効果を確かめる上で重要な指標となります。

  • ピタリと動きを止め、
  • 呼吸は浅く速くなり、
  • 周囲をうかがう探索行動も完全にストップする。

DNAに刻まれた本能的恐怖

まさに、恐怖による金縛り状態です。これは、どこかで「この匂い=危険」と学習した結果ではありません。彼らのDNAに、太古の昔から刻み込まれた本能。「この匂い = キツネのような捕食者の接近 = 死の危険」という、抗いようのないプログラムなのです。この本能的な反応こそ、ネズミ対策における匂いを利用した忌避技術の基礎となります。

写真:恐怖で硬直したドブネズミのオス個体(下水環境に出現した場面の再現写真)
ネズミは捕食者臭によるフリーズ反応を示すイメージ。

【2. なぜ恐怖するのか?進化が選んだ「匂いセンサー」】

進化の過程で刻まれた恐怖

自然界は過酷です。捕食者の接近に気づけなかった個体は、その命を落とし、子孫を残すことはできません。遥かなる時を経て、キツネの放つ特有の匂いに鈍感だったネズミたちは、捕食され淘汰されていきました。これはネズミの生存戦略において、匂いによる危険察知がいかに重要であったかを示しています。

生き残ったネズミの子孫たち

その結果、現代を生きるネズミたちは皆、「この匂いを察知し、恐怖することができたネズミの子孫」なのです。この本能的な忌避行動は、ネズミ対策を考える上でとても重要です。

人間にはない「死の匂い」センサー

私たち人間には、このセンサーは備わっていません。なぜなら、人間はキツネに捕食されるという歴史を経験してこなかったから。人間にとっては「ただの変な匂い」でしかなくても、ネズミにとってはすぐ目の前に危険が迫った匂い。わずかでも動いたら見つかって食べられてしまう。死の匂いなのです。この背負ってきた歴史の違いが、忌避剤の効果は動物種によって異なることの一因です。

田んぼの畦道にたたずむ夏毛のホンドギツネ・オスイメージ)
現代のキツネ類は約300万年前から広く分布している。キツネはその頃からネズミの捕食者だ。

【3. コウモリはなぜ平気?動物種で異なる「匂いの意味」】

すこし他の動物を見てみましょう。

キツネの忌避臭に無反応なコウモリ

私が大好きなコウモリたちは、このキツネ由来の忌避臭(匂い)にほとんど反応を示しません。匂いを近づけても、何事もなかったかのように、慌てて逃げ出すそぶりも見せないのです。これはコウモリ対策を考える上でとても重要です。

これは、コウモリがキツネにとって主要な獲物ではなかったことを物語っています。つまり、どんな匂いを「危険!」と認識するかは、動物の種類によって全く異なる。だから、ある動物に効果的な忌避剤が、別の動物には全く効かないということが起こり得ます。

動物種で異なる「危険な匂い」の認識

ネズミには絶大な効果があっても、コウモリには通用しない。なぜか?その違いは、それぞれの種が「命を脅かされた経験」を、遺伝子レベルでどのように受け継いできたかによって決まります。このため、ネズミとコウモリでは、忌避すべき匂いが異なるのです。

ネズミ忌避成分を分泌する動物はキツネだけではありません。イタチもそのひとつです。こうした自然界の捕食者の匂いは、害獣対策のヒントを与えてくれます。

写真:捕獲トラップ内でこちらを見つめるイタチの横顔(野生個体の拡大写真)
【2021年・長野県】捕獲トラップ内のイタチ。肛門腺からTMT類似物質を放つ動物として知られる。

TMT研究で判明したコウモリの無反応

では、コウモリはキツネの“尻の匂い”──専門的にはTMT(2,4,5-トリメチルチアゾリン)と呼ばれる肛門腺由来の成分──に本当に反応しないのでしょうか?この疑問に答える研究があります。この成分の忌避効果は、ネズミに対して非常に高いことはわかっています。

海外の研究では、ネズミ、リスザル、クモザル、ブタオザルの4種にTMTを曝露し感受性を比較しました。その結果、ネズミは極微量のTMTで明確な「フリーズ反応」を示した一方、リスザル・クモザル・ブタオザルはいずれの濃度設定でも全く反応せず、本能的な恐怖反応に種差が浮き彫りになりました(Day et al., 2005)。サル3種とラットでは、キツネに捕食されてきた歴史――すなわち捕食圧の有無が異なります。これは、強い本能的恐怖反応が「長年にわたる捕食圧によって遺伝的に刻まれる」動物特有のものであり、TMTがすべての動物に同じ効果をもたらすわけではないことを示唆しています。

また別の研究では、洞窟に生息するコウモリにこのTMT成分を含む2種類の捕食者臭(匂い)を嗅がせる実験が行われました。結果、コウモリはこれらの匂いに対して回避行動を示しませんでした(Driessens and Siemers, 2010)。「コウモリはキツネの尻の匂いを恐れない」ことが実験で裏付けられたのです。コウモリはキツネに対し強い捕食圧は受けてこなかった。だから、TMTによる忌避効果はコウモリには期待できないということです。

まとめると、これらの研究は、捕食者の匂いに対する恐怖反応は、その記憶を遺伝子に刻むほど強い捕食圧を経験したものに限定されることを示しています。

【4. オオカミの尿とシカの記憶──消えたはずの捕食者の影】

絶滅したオオカミの尿に反応するシカ

この文脈でしばしば引き合いに出されるのが、「オオカミの尿(匂い)は、オオカミが絶滅した地域のシカにも忌避効果がある」という研究結果です(Osada et al., 2014)。これは、匂いによる動物対策の興味深い事例です。

日本においてニホンオオカミは絶滅してからだいぶ経ちます。自然界に、オオカミを見たことがあるシカは存在しません。

それにもかかわらず、海外に生息するハイイロオオカミ(ニホンオオカミとは別種)の尿(匂い)を使用すると、日本のシカやカモシカはそれを避け、警戒行動を示すというのです。この効果は、忌避剤開発のヒントとなります。

種を超えて作用する「匂いの記憶

姿を見たことがないはずの捕食者の臭いに、なぜ彼らのDNAは「危険だ!」と警鐘を鳴らすのでしょうか。

おそらく、異なる種のオオカミであっても、尿に含まれる特定の化学成分(匂い)が共通しており、シカの祖先が長年にわたり脅威として認識してきた“何か”が、種を超えて作用しているのでしょう。姿は見えなくなっても、その「匂いの記憶」は生き続け、野生動物たちの行動に深く影響を与えているのです。

写真:罠の中で外を見つめるイタチの後ろ姿(長野県で撮影された野生個体)
【長野県・2021年】罠内から外をうかがうイタチの後ろ姿。視認されずとも存在を警戒される捕食者の一例。

忌避効果の限界:捕食者不在による「慣れ

ただし、その忌避効果も万能ではありません。たとえ本能的に「危険な匂いだ」と感じても、実際に捕食者が現れない状況が続けば、動物たちは徐々にその匂いに「慣れ」てしまうことがあります。「あれ?意外と大丈夫かも?」と学習するのです。こうなると忌避剤としては「効かない」状態になります。

命の危険警報は、誤報となってしまうのです。群れで行動する動物の場合、一頭が「安全そうだ」と判断して大胆な行動を取ると、それを見た他の個体も「なんだ、平気なのか」と追随し、やがて群れ全体として警戒レベルが下がってしまうこともあります。これは、長野県のような自然豊かな地域での害獣対策では考慮すべき点です。

このように、匂いへの反応は、まず本能で始まり、その後の経験や他の個体の観察、つまり学習によって上書きされていく側面もあるのです。これが、忌避剤の効果が持続しにくい、あるいは期待通りに「効かない」場合がある理由の一つです。

【5. 匂い利用のリアル──忌避剤開発の現場から】

長野県でのネズミ用忌避剤共同研究の経験

私自身、2020年から2021年にかけての2年間、長野県内の畜産施設で、公的な研究機関やメーカーと共にネズミ用忌避剤の共同研究に携わってきました。その現場で、ある動物の忌避臭(匂い)によって文字通り“フリーズ”してしまうネズミの姿を、幾度となく目の当たりにしました。

以下は、実際にネズミ忌避剤の研究を行っていた際の現場写真です。

写真:防護服を着てネズミ忌避剤の研究を行った(2021年、長野県の畜産施設内)
【2021年・長野県】防護服を着用し、ネズミ用忌避剤の効果検証を行っていた研究現場の写真。

忌避剤単独でのネズミ駆除の難しさ

しかし、忌避剤だけでネズミを完全に駆除するのは、残念ながら非常に難しいのが現実です。大きな課題の一つは、匂いの効果が長続きしにくいこと。そしてもう一つは、あまりに強烈な匂いを使用すると、ネズミが恐怖で全く動けなくなってしまい、忌避にならないということです。

有効だった「粘着板と忌避剤」の併用戦略

そうした中で有効だったのは、まず粘着板を広範囲に設置し、その後にネズミが隠れていると思われる方向へ忌避剤を噴霧するという二段構えの戦略でした。匂いによってネズミの注意を攪乱し、パニックに近い状態で普段とは異なる状況に追い込むことで、粘着板への捕獲率を向上させるという効果が確認できました。この方法は、専門業者によるネズミ対策としても応用可能です。

実際に忌避臭と粘着板を併用した捕獲結果がこちらです。

写真:忌避剤研究中に粘着板で捕獲された複数のネズミ(現場の記録写真)
【現場写真】忌避剤と粘着板の併用により捕獲された複数のネズミ。現場での研究成果を示す記録写真。

このように、「匂い」は効果を読んで駆除計画を設計し、状況に応じて使い分ければ強力なツールとなり得ます。ただし、これが万能というわけではなく、他の対策と組み合わせることが重要です。

【6. プロの知恵:捕食者臭の活用】

専門業者が行う捕食者臭の限定的な活用法

私のような害獣対策の専門業者は、こういった匂い(捕食者臭)を秘密兵器のように使うことがあります。しかし、その目的はかなり限定的です。特にネズミやコウモリといった対象動物や状況によって、自分の経験や知見に基づいて、その効果や使用法を慎重に考えて、使うかどうかを判断します。

  • ネズミの侵入ルートを一時的に変更させる(忌避効果)
  • 特定のエリアに一時的に、近寄らせないようにする(忌避効果)
  • 警戒を匂いに向けさせる(他のワナへの警戒を薄める効果)

──といった具合に、「短期間だけ、ここは嫌な場所だ」と動物に思わせるために用いるのです。長野県のような自然が多く、非人間の生活圏と交じりあった環境では、こうしたきめ細やかな対策が求められます。

匂いだけで動物が一切寄り付かなくなる、というのは現場レベルではまず期待できません。現状では、忌避剤は効果に限界があり、期待通りに「効かない」ことも多いです。あくまで補助的な手段、あるいは特定の状況下での切り札です。

【7. まとめ──生き続ける「匂いの記憶」と未来への展望】

動物たちは、私たちが言葉で世界を理解するように、匂いで世界を読み解いています。彼らの祖先がたくさんの危機を乗り越えて、生き延びる中で遺伝子に刻み込んできた、生存のためのサインとしての臭いがあります。これはネズミやキツネなど、多くの動物に共通するメカニズムです。

私たち人間には感知できない、あるいは意味を理解できない“匂いのメッセージ”を、動物たちは嗅ぎ分け、本能的に恐怖し、その結果として今日まで種を繋いできたのです。この本能的な忌避反応は、効果的な害獣・野生動物対策を考える上で、とても重要です。

匂いを利用した動物対策は、多くの可能性を秘めています。発展途上です。しかし、今後さらに研究が進み、より効果的な技術が確立されれば、それは人間と野生動物との間に「ちょうどいい距離」を築き、共存していくための新たな武器となるかもしれません。例えば、コウモリやネズミに対する新しい忌避方法や、より専門的な業者による駆除・対策技術の向上も期待されます。

匂いが持つ、見えざる力の探求はこれからも続きます。長野県のような自然と人間が近接する地域では特に、この分野の発展が望まれます。

参考文献

引用論文1(コウモリの捕食者臭への反応)
論文タイトル:
Cave-dwelling bats do not avoid TMT and 2-PT – components of predator odour that induce fear in other small mammals
著者: Tess Driessens, Björn M. Siemers
掲載誌: Journal of Experimental Biology, 2010年, Vol.213, pp.2453–2460
DOI: 10.1242/jeb.041467

引用論文2(ネズミなど小型哺乳類に対するTMTの恐怖誘導)
論文タイトル:
Defensive behavior and neuroendocrine responses to predator odors in rats
著者: Day HE, Masini CV, Campeau S
掲載誌: Neuroscience and Biobehavioral Reviews, 2005年, Vol.29(8), pp.1249-1263
PubMed ID: 15708773

引用論文3(オオカミ尿の化学成分による回避行動)
論文タイトル:
Pyrazine analogs are active components of wolf urine that induce avoidance and fear-related behaviors in deer
著者: Kazumi Osada, Sadaharu Miyazono, Makoto Kashiwayanagi
掲載誌: PLOS ONE, 2014年
PMCID: PMC4132518

📻 この内容はラジオ番組でも紹介されました

本記事のテーマ「動物の匂い・忌避剤」については、2025年5月29日放送の SBCラジオ『もっとまつもと!』でも解説しました。 番組内では、オオカミ尿やイタチの分泌腺臭(匂い)、ネズミの恐怖反応など、実際の事例とともに紹介されています。この放送は、長野県のリスナーにも関心の高い害獣対策情報となりました。

▶ ラジオ出演情報ページを見る

🔎 関連リンク|もっと詳しく知る

ネズミ・コウモリなど害獣の被害でお困りではありませんか?
長野県とその周辺地域に対応します

この記事では、キツネの匂いなどを利用したネズミ用忌避剤の効果や、動物の匂いに対する反応について解説しました。しかし、実際のネズミやコウモリなどの害獣駆除・対策は、専門的な知識と経験が必要です。「忌避剤を試したが効果がなかった」「どんな対策をすれば良いか分からない」「害獣が棲み着いてしまい、どうにもならず効かないのでは…」など、お困りの場合は専門業者である私たちにご相談ください。

かわほりプリベントは、長野県松本市を拠点に、長野県全域および山梨県・岐阜県・群馬県の一部地域で、ネズミコウモリをはじめとする害獣の現地調査から駆除、侵入経路の封鎖、清掃・消毒、再発防止対策まで一貫して行っています。

ご相談は無料です。匿名でのご相談も承っておりますので、まずはお気軽にお問い合わせください。お見積もりも無料です。

専門家(山岸)へ無料で相談する

お電話でのお問い合わせも受け付けております。
TEL: 090-9668-1975(代表直通)

この記事を書いた人

山岸淳一(かわほりプリベント代表)

長野県塩尻市を拠点に、野生動物や有害生物の調査・駆除・対策工事を専門に行っています。かわほりプリベント代表。学会発表や文化財・医療施設での実績多数。三度の飯よりコウモリが好きです。