こんにちは。長野県でコウモリの生態調査と野生生物の建築物侵入メカニズムを専門に研究している、かわほりプリベント代表の山岸淳一です。長野県におけるコウモリ・野生動物対策の専門研究機関として、科学的エビデンスに基づいた正確な情報をお届けします。
今回はコウモリと空を飛ぶ翼のお話です。紹介する論文は、Alexa Sadierらによる『Making a bat: The developmental basis of bat evolution(コウモリを作る:コウモリ進化の発達的基礎)』です。
それでは、コウモリの世界の論文解説を開始します!
1分でわかる記事まとめ
指が伸びる魔法
胎児期の特定のタイミングで遺伝子のフィードバックループが再始動し、前肢を異常なほど細長く成長させる
翼膜(パタギア)の誕生
本来なら消えるはずの指の間の組織が、アポトーシス(細胞死)を防ぐ仕組みによって「翼」として残された
顔と歯のカスタマイズ
食性に合わせて顔の長さや歯の形を数週間で調整する、驚異的な適応能力の遺伝的メカニズムが判明
イントロダクション:なぜ彼らは「鳥」ではなく「空飛ぶ獣」になったのか
コウモリ(翼手目)は、哺乳類の中で唯一、自力で羽ばたいて空を飛ぶ能力を手に入れたグループです 。全哺乳類の約20%を占める約1500種という多様性は、まさに「飛翔」というイノベーションの結果と言えるでしょう 。
よく「鳥と同じようなもの」と誤解されますが、そのロジックは全く異なります。彼らは地上を歩いていた祖先から、指を異様に細長く伸ばし、その間に皮膚を張るという独自の「設計変更」を行いました 。専門用語で言えば、反響定位(エコーロケーション)による闇夜の支配と、翼膜(パタギア)による高機動飛行が、彼らをニッチの覇者へと押し上げたのです 。
本研究の目的と成果:論文解説
この研究の目的は、「なぜコウモリだけが、哺乳類の中で唯一、空を飛ぶという劇的な進化を遂げられたのか?」という謎を、遺伝子と発生(胎児が育つプロセス)の仕組みから解明することにあります。
解析の結果、以下の主要な事実が判明しました。
進化のショートカットを発見
コウモリは全く新しい遺伝子を作ったのではなく、ネズミなども持っている「既存の遺伝子」を動かすタイミングと期間(ヘテロクロニー)を調整することで、短期間で翼を作り上げました。
指を伸ばし続ける「ブースター」の存在
前肢の指を伸ばす Shh(ソニック・ヘッジホッグ)遺伝子が、通常は止まるはずの時期に再び活性化する「フィードバックループ」を形成し、他の動物にはない異常な長さを実現しています。
「膜」を残すためのブレーキ
本来、指と指の間の組織は成長過程で死滅(アポトーシス)してなくなりますが、コウモリは Bmp 信号を阻害する Grem 遺伝子を働かせることで、このプロセスを意図的にストップさせ、翼膜(パタギア)を保持しています。
食性に合わせた「顔のカスタマイズ」
Runx2 という遺伝子の中にある特定の配列(QA比)が、ダイヤルを回すように顔の長さを調節しており、これにより昆虫食から果実食まで、わずかな遺伝的変化で多様な食性へ適応しました。
本研究は、これら複数の遺伝的スイッチが組み合わさることで、コウモリという「異能の形態」が完成したことを論理的に証明しています。
深掘り考察
深掘りする前に、この研究の結果を私なりにもう一度解釈してみます。
指を伸ばし続ける成長ループを再始動し、本来消えるはずの指間の組織を保持し、さらに顔の長さをダイヤル調整するように変えることで、短期間で劇的な適応を成し遂げた。
この研究成果からは、コウモリが空を支配するための合理性を感じますよね。なぜ彼らがこれほど極端な体を手に入れたのか、これを考えてみたいと思います。
「膜」を張るために、指の「死」を止めるという逆転の発想
通常、哺乳類の指は、胎児のときに指の間の細胞がわざと死ぬ(アポトーシス)ことで一本ずつ分かれます。
しかしコウモリは、Grem(グレムリン)という遺伝子のブレーキを使い、この「細胞の死」をあえて止めました。
これにより、指の間の組織が「翼膜(ダクティロパタギア)」として残り、パラシュートのような構造を自前で用意することに成功したのです。
「長さ」と「軽さ」を両立させる、限界ギリギリの設計
私も現場でよく感じるんですが、とにかく指の細さです。これは、揚力を稼ぐために翼を広げつつ、飛行の邪魔になる「重さ」を極限まで削ぎ落とした結果です。
そして、Shh 遺伝子などの働きによって、骨を太くするのではなく「伸ばすスピード」だけを爆発的に高めました。
これにより、竹細工のように「細くてしなやか」、かつ大きな風圧を受け止めることができる、工学的にも極めて効率的な骨格が完成したことになります。
あえて「見ない」ことを選んだ、徹底したコスト管理
特定の光(紫外線など)を感じる Sオプシン という視覚機能をあえて失わせたのは、脳やエネルギーのリソースを「音の解析(エコーロケーション)」に集中させるためだと考えられます。
視覚を捨てて「夜の闇を音で視る」という、誰もいないニッチな市場に全精力を注ぎ込んだ。
この「一点突破」の戦略こそが、地上での生存競争を回避し、彼らを哺乳類の巨大勢力へと進化させた論理的根拠だと言えます。
かわほりプリベント山岸淳一の「現場にたつ研究者の眼」

長野県の松本の深い山の中で、実際にコウモリを保定(捕獲して保持)する際、私はいつもその「質感のギャップ」に驚かされます。
体はふっさふさの毛に覆われて「獣」としての温かみがあるのに、指から先、翼に触れた瞬間に世界が変わります。論文にある「細い指」と「薄い翼膜」は、手に取ると「上質なシルクか極薄のシリコンを触っているような、しっとりとした滑らかさ」として伝わってきます。
この薄さ、この細さで、夜の山を時速数十キロで飛び回る。これはもう、違和感を通り越して生命の設計の凄みを感じます。
地上の生存競争に背を向け、垂直な木に登り、そこから重力を利用して空へ飛び出した。
視覚(Sオプシン)を一部捨ててまで夜を選んだのは、彼らにとって「他者と競う」ことより「誰もいない場所で生きる」という覚悟が勝ったからでしょう。
「細すぎる指」という、一見すると脆そうな進化を選んだからこそ、彼らは誰にも邪魔されない夜空という広大なマーケットを独占できた。
人間の世界でも、誰も見向きもしないニッチな分野にこそ、世界を変えるイノベーションが眠っているのかもしれません。
よくある質問FAQ
まさに「手」そのものです。親指以外の4本の指が異常に長く伸び、その間に皮膚が張っています。鳥が「腕」で飛ぶのに対し、コウモリは「指」で飛んでいると言えます。
実際には見えていますが、多くの種で紫外線を感じる機能(Sオプシン)を失っています。エコーロケーションを発達させたことで、視覚への依存度を下げた結果と考えられています。
翼膜は非常に再生能力が高い組織です。しかし、今回の論文で示されたように、複雑な遺伝子ネットワークによって維持されている非常に繊細な「特注品」でもあります。
参考文献
Sadier A, Urban DJ, Anthwal N, Howenstine AO, Sinha I, Sears KE. 2021. Making a bat: The developmental basis of bat evolution. Genetics and Molecular Biology 43(1 Suppl 2): e20190146. Available from: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33576369/
Teeling EC, Springer MS, Madsen O, Bates P, O’Brien SJ, Murphy WJ. 2005. A molecular phylogeny for bats illuminates biogeography and the fossil record. Science 307(5709): 580–584. Available from: https://www.science.org/doi/10.1126/science.1105113
この記事の執筆者・監修者
山岸 淳一 (Junichi Yamagishi)
かわほりプリベント代表。長野県を拠点に、コウモリや野生動物の研究をしながら、駆除対策の依頼には直接現場で対応している。動物と人間との間に生じた曖昧な境界線を整えることが使命。研究の専門領域は、長野県に生息するコウモリの生態研究(特に上高地や乗鞍高原など山岳地帯の希少種コウモリ)と、コウモリや野生生物の住宅や建築物への侵入メカニズムの解析研究。ハウスメーカー住宅から大学病院、重要文化財、古墳まで駆除対策の実績多数。SBC信越放送ラジオ「かわほり先生の生き物万歳」(毎月第4木曜)にレギュラー出演中。三度の飯よりコウモリが好き。
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